くらしのひとりごと

日常と頭の中で考えることがすきな日記的ひとりごと録。家好き、インドア派、田舎暮らし、ガーデニング、読書好き。🧑‍🌾

立ち止まって、静かに考える

幼い頃、人間関係への免疫や耐性が身についてなくて(これは性格もあるのだろうけれど) 随分と悩んだ。我が子には同じ思いや思考回路にはさせたくはないと踏ん張って色々悩み、試行錯誤し改善してきた数年間。常に一緒に成長してる感がとてもいい。いま思い描いているありたい自分の理想像もまったく想像しなかったくらいかもしれない。

 

身近にいる存在として、母として、一緒に成長語り合いながら、七転び八起きしながら、勇気を一歩ずつ与えられたら…。

 

子育てを通して、人間関係も改めるようになったけれど、甘やかしと関大であることとは別物であることだと思えてくる。

何ならしていいのか、悪いのか?の判断を個人で考えてみて、最前の方法を導きだしてくれるようになればいいな、と思う。

それはまだまだわたし自身も毎日違和感と変化の狭間で揺れ動いていながらも、変化させてみることは新しい発見のために必要。だからこそ、日記もつけてみる。

 

どれが正しいとか、何が良いのかは、自分自身で試してみることから自分自身のよい方法が見つかる気がする。それは、常に変化する。

それは、庭仕事での気づきも多くある。育てかたには色んな方法があるけれど、まずは、自分自身で試して、発見し、次にやるべきことや改善策などの方法がみえてくるということ。

 

そんなこんなことで数日にまとめて整理しながら記録していたら、こんな記事を読んだ。

ある脳科学者の本(「精神的に強い子に育てるには?」)による要約らしいが、気になった箇所を少し。

これは、いま必要事項真っ最中だなあ、と目を向けたい部分。

 

 

  • 親自身が、感情コントロールの模範を示し、良き手本となること。
  • 子供たちに経験をさせ、自分の行動の結果と向き合い、自分で問題を解決することを認めること。
  • 子どもの失敗に共感してやり、簡単に善悪ではジャッジしないこと。
  • 結果が小さいうちに学ばせること(大きな問題が起きる前に、小さな問題をたくさん経験させておく)。
  • 自由を与える時は、それにともなう代償と責任を伝えてからにすること。

 

個人的な意見や意思だけでなく、いつも、広い視点で物事を思慮深く考えながらいけたらいいなあ。大人になってからでも常日頃、最善は変わっていくのだから、…。

 

 

20代前半までは、自分で言うのもなんだが童顔で、どうやったら大人っぽくなれる?と悩んでいた。…はずなのに、30代に突入したら、自然と衰える衰えていく…。そんな焦りがではじめている。 早いうちからの健康管理が大事とはこのことか。気をつけよう!と思うころ。

次男との毎朝の散歩で8000歩あるくことが救い。

 

 

 

今日の週末はあいにくの雨。久々に予定もなく鑑賞会に浸った。次男が名探偵コナンをみたい!とのリクエストで、初めてしっかり観たてみた。初めから終わりまで考えながらストーリーをたどると、なかなかに面白い。 コナンをはじめ、主な登場人物の何気ない一言が気になって、息子と私3人で、あれこれ推理したくてしょうがなくなる。なかなかのアクションシーンも見どころ。わが家の大人気キャラクターは、すっかりコナンと京極真になってきている。かっこいいのにお茶目でもあったりなにかと目を引く存在で、憧れや話題に出やすいいいキャラクター。

同時に、こんな大人びた話も面白くなってきたのか、と成長に感心してしまった。

 

プライバシーの領域ってのもあるけど、あまりにも距離感を遠ざけてしまうと、かえって機会を逃すこともある。人との距離感ってほんとに人それぞれなんだなあ、と常々思うこのごろ。

✐:追伸

ポジティブなことを記録すると認知能力が高まったり日々のモチベーションが上がるという論文紹介をみた。今後、良かったことを積極的に記録してこう!

語ることば、話す事柄は何でも語り合い、元気になれるように話すこと。日記でも、実生活でも、いちばんは子育てで。とにかく、言語化したり話すことで救われる気がする。

 

 

ジャーマンカモミールが毎日たくさん咲いてくれる。摘み取って洗って乾燥させておく。



 

 

 

生活改善週間

久しぶりの記録となってしまった。が、そればかりは都合もあるため致し方ないことにする。

連休は夫が帰国し、子育てや家事、家族の時間を愉しむと、あっと言う間に時間が過ぎた。

連休最終日には、風邪をこじらせたが、一日寝込んで薬も飲んだのか、なかなかによい回復に向かっている。

 

自分のたのしめること、夢中になれること、癒されることに程よく動き、向き合っていると身体も良い疲れがするなあ、と身をもって実感した日々でもあった。連休の息抜きがあってからか、また生活も良い状態にもっていくことができた。

 

 

 

家での庭仕事も活気が戻り、出向く機会も多くなった。また植えたい作物が見つかり、せっせと新しい地面の土を掘り起こし、準備を進めている。

暑くなってきて日差しが肌にさすようなのに、動きたくなって、活動的になってしまうのはなんでなんだろう?季節の変わり目と一緒に自然と活動的になる。また日焼けしそうだけれど、去年のこんがり肌にはなるまい、と今年は気をつけて。年齢とともにカラダも顕著にでやすいから。

 

収穫が盛んなミントとカモミールを摘んでハーブティーにして飲む。今年初めて育ったハーブたちを収穫していると、なんだか感慨深くなった。自分で土壌を改良し、種をまいて育て、収穫する。なんだか子育てと似ている。やりがい、発見……有意義な体験が感じられる。

毎日観察してもどこか新鮮で、どこか違う。植物や自然に触れるといいリフレッシュにもなり、ふと考えることが湧いてきて、内観ができる。

こだわり、気を休めるとき、オンオフの活動の瞬間など…どこか自分のなかでのマイルールは見つけなければならない。

 






 

 

 

振り返って、書く循環

今日から三連休が始まった。

何も予定がない。どうしようか?と考えていると、朝9時からさっそくインターホンがなり、近所の子から遊びのお誘いがあった。何軒ものいつも仲良くしている子が大集合し、結局、夕方18時までしっかり遊んでいた。しかも、我が家で。内心気が張って休めた気はしないけれど…まあ、ほかの家で遊んでいるほうが気が気でないのでそれはよれでよかったことにする。子どもたちの個性はいろいろあるけれど、しっかり互いに譲歩しながら穏やかに過ごしている光景をみて、ああ、いい環境で過ごしているんだな。とも思えた。あまりにものびのびすぎる気もするけれど、まあ、週末くらいは…と大目に見る気持ちで。

おかげで、家事も進んでいい日だった。あまりにも思い悩んで予定を無理やり詰め込むのはよくない。むしろ、家で過ごすと決めたのなら、それなりにやることも見つかったりして、それまた考えふけることもできて、有意義な時間にもなる。

 

いつも息子や誰かと偶然話す機会があると、自分にはこう見えたり、思うことがあっても決して相手も同じように思っているわけではないことに気づかされる。

そして、気軽に話すことができる人は少なくて、たとえ身内であったとしても話しておくのはよそう、話さないでおくことは大事だな、と思うこともある。自分が求めることと、他人が求めることも違っているということ。

大事なのは、話してもないのに自分の置かれた環境や立場、心情を汲み取って理解してもらえるような会話が継続する人には話そうかな、とまわりまわって結局この結論にたどり着く。何を言うかではなく、何を話さないでおくか、も大事だな、と。

今もこうして、自分自身が思い悩んでいることに対してこれでいいのか?という気持ちで書いて整理すると、とても気分が落ち着いてくる。

静かに、余白をもって。今できることについて、考えながら、

 

古代ギリシャストア派が、正しい選択をすることにエネルギーを注ごうとする。目標を達成できなかったフラストレーションは脇に置いて、自分がコントロールできることに全力を注ぐのがいいと説いている。

以前読んだ<think criary >というストア派に人生の影響を受けた著者の本の内容で、自由な時間ともっと楽しいことや幸せなことへの選択肢を奪うものならば、5秒以内で検討し決断した方がいいという内容が改めて今の自分の胸に刺さった。

 

あらかじめ想定していることに対して、自分自身が求めないものに対しての回避法やあまり複雑化させないようなシンプルな対応力、価値観というものが理解できていれば、ものごとについて何を避けるか、何をやめるか?の最善の選択ができる。それが幸福につながるのではないか、ということ。

たしかに相手や状況は簡単にコントロールはできない。あらかじめ性格や波長が合うという相性というものはあるな、とも思う。

 

自分でものごとを判断して行動しながら成長していくこと。

今ある環境ややるべき物事に対して、自分の仕事に一生懸命取り組み、自分の大事にしたい時間、作業に習熟したりして、いまの瞬間に集中して生きること。

 

誰にでも自分を尊重してもらいたいわけでもなく、互いに違うことを受け入れながら、適度な距離感で、たのしく付き合える人と共有しながら長い時間をかけて向き合うことを大事にもしたい。

 

最後に、今日久しぶりに読んだ<think criary>の一節より。

「現在の経験」を存分に楽しもう。

夕日を写真に撮るより、夕日そのものを楽しんだほうがいい。

すばらしい瞬間を積み重ねてできた人生は、たとえそれらの記憶が残らなくてもすばらしい人生に違いない。

経験を「記憶の口座」への入金作業にするのはやめよう。人生最後の日にはその口座はどのみち消えてしまうのだから。

 

たしかに、「もの」よりも生きてきた「経験」が残るというのも納得できるようになってきた。経験を活かして、次よくしていこう、とも思うようになってきた。

写真や映像で振り返ることもたまにはいいけれど、実物で話して見る我が子がいちばん愛おしいし、紙の本で読んで集中する、庭でみる植物たちの美しさを感じる、韓国の友人とのやりとりする、という時間は、自分にとっては格別。

 

そういえば、韓国の友人から一貫性があって変わらないことを<松の木のようだ>と表現するらしい。持って生まれた性質はほぼ変わらないから、こういう表現は自分自身を見つめる際には、とてもいいかもしれないな、と思った。

 

 

 

 

去年植えたアップルブロッサムの花が無事に咲いた。淡いピンク色で大きさも小ぶりでなんとも可愛い。韓国の友人と会った時に買ったサシェブレンドされていた。香りが気に入って、お家でまた自家製サシェを作ろうと検討中。



 

[blog:g:11696248318754550864:ban

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考えるための記録

毎日書いていく方が、やっぱり心身にとっては良いことに気づかされている。記録することをまとめて整理するために悶々と考える時間を多く取るよりは、ひとつひとつのことを綴ってみるほうが、なんとなく自分自身を把握しやすく、自己管理しやすい気がする。

 

今日、どんなことを思った?もっといえば、どんなことが印象的だった?どうすればよかった?そんな自問自答を深く考えて、いまできる最前のことをしてみること。毎日すぐに変わることはできないけれど、少しずつ変化をもたせて、慣れてみるようにして。いつだって、自分がよくわからなくなるときがある。どうしてみようか、と思うことはいっぱいある。そんな心にぼんやり残ってくことを、こうやって記録しながら整理していったほうがスッキリするもの。それでも常に移りゆくもの。大切なことさえ鮮明でもなくなってしまう。だから、嫌な事ほど教訓にしてつぎ。みたいに考えよう、と思う。いつだって死ぬまで現在進行形。

 

カラダのけだるさにここ数年間、毎日悩まされてきた。寝起きは悪く、やる気は起きづらかったり、疲れやすかったり…

なんせ、今まで子育てのために不規則な生活というのもあったのだと思うけど、いちばん大事なのは、バランスの良い食事と適度な運動と休息なのだ、と気づいてくるそんな年頃。

 

どうしても疲れて気力が湧かなかったり、偏頭痛に悩まされる日には、生活上どうしても薬に頼らなければならないけれど、栄養ドリンクを飲んでみると少し軽減されることに気がついたときがあった。こういう手段はあまりよくないはずだから、この際によし、簡単に料理だけでは摂取できないなら、サプリを取り入れてみよう!と思い、初めての購入を決意した。

飲み始めているが、調子が全然ちがうといったら…!何事も程よいバランスが大事で、加えるか、減らすか、様子をみてその日の状態を常日頃調整しなければならならないな、と思う。

 

m.qoo10.jp

 

この前、やる気が起きないとか、自分にとって無意味なことだと思えることに対して、なんともやる気が起きないなあ、とふと考えさせられる瞬間があった。

 

がんばりたい時って自然と言葉数が増えること。あと、その場の雰囲気とかもある気がするけれど、雰囲気がピリついているとか、中途半端な知り合いが多いという場合では、どうも自己を発揮できにくいこと。なにか不穏な空気感というか、誰も信用できないよね、というような人間関係を感じると、どうしてもグッとやる気が冷めてしまう。はたまた、むしろ知らない人が多いほど気になることも多くて、気になって話してみたくなることもある。多分、気質でもあるだろうし、なんというか、やっぱり自分ってマイペースなんだろうなあ、とも思ったりもする。

 

この前、いつも唯一みている占いにこう書いてあった。

“自分にとって欲しいものや欲しい時間がハッキリして、いらないや結構です、関わりたくないです、みたいなこともハッキリしていく。静かな人間関係の整理、それぞれの持ち場で戦っていってる人を尊敬し、一緒にいたいと願ってくる。人間関係も、できることも広ければいいってもんじゃないみたいなという感覚を持っていく。それでも、話せる人の意見も聞いてその冷めた部分も補って人生の発見にしていく機会も多く持って──”

 

そんなことが、わお、今のまさにわたしじゃんか!と妙に腑に落ちてしまった。

 

客観的にというわけでなく、自分からみたときのものごとを測ってみることも大切であるし、ほんとにこれがいいことなのか?そうありたいのか?いや、こうじゃなくてこうしていくのがいいよね、と自分のやり方で生きてみよう、とまた背筋をピシッと伸ばしたくなった。

 

 



 

 

 

 

 

毎日新しい

 

今日は、2ヶ月ぶりに次男の通院へ。短期間の間で成長を感じた瞬間がいくつかあった。脳の意識?細胞レベルで?なんだか変わっている…メディアもみず、ただ話をしながらいつもより1時間長く過ごしたのに、以前になく落ち着いていた。院内を歩くときも、駆け足になるのを抑えて歩くようにもしていたし、場をわきまえたマナーみたいなものへの意識が感じられた。

(ひょっとすると、私と同じくらいの態度だったかもしれない)

 

脳に未経験のことや新しいことを行わせようと何度も要求すると1つまり現在していることをやめて別のことをしようとすると1脳は次第にそれをうまくできるようになる。脳は活性化されることを好む。やめることは、脳のエアロビクスのようなものなもの、だというのを思い出した。

 

いつも付き添う立場であるけれど、いつも全てを先回りして助言をしたり、隣に立って、本人の意思というものを生み出せない気がする。自力で一歩踏み出せるために。気持ち一歩引いて。後ろでそっと見守りながら。考える時間を。多く発見できる時間を。

成長するたびに手が離れていく名残惜しさもあるけれど、成長する機会が一日でも多くあることが、子に対する親の幸せと願いかもしれない。

多くは親に似てほしくない面もあるから。反面教師でいこう。

 

毎日の子供達の姿をみていると、ほんとうに天真爛漫だ。

何かに向き合う時の表情、姿勢がキラキラしている。時と場合も考えて足並み揃えていかなければならないこともあるだろうけれど、大人になってできない後悔があるのならば、いっそのこと納得いくまで痛いほど経験して、トライアンドエラーを重ねて、その数だけ踏ん張っていっていけるようになってほしい。“周りがこうだから、こうするのが当たり前なんだ。ということは、事情によっては必ずではないはずだから。客観的に物事をみながら、何か自分なりの模範を見つけて、たのしく幸せに暮らしていけますように。

 

プラスの言葉を日頃使っている人たち、配慮や思慮深い人たちと話してみると、自然と気分がいい。人によって感銘を受ける場所もどことなく違っている。

発言に対して向ける言葉返しというのは、いつも悩まされるし、意識から放たれる言葉、受け取る言葉は、とても慎重になければならないときもある。受け取ったとしても変換することは、いつも重要だということ。

 

 

 

昨年の庭。いま思えば、なつかしい。

今年は芽吹くものが多くなった。

カモミールがつぼみをどんどんふくらませて、はじめて咲くところ。

 

大切にすべきことへ焦点をあてる

 

また幾つかの本を売りに出した。

人気がある本だといって自分自身に残したい教訓になるわけではなく、本を読んでいて大事なのは、客観的に考えてみて、また新しい自分の中の広い視点をもっていくこと。

 

家で完結して愉しめることが多くなってきてからのこと、すっかり近所付近の外出の楽しさがわからなくなってきて、心身のストレスもかなり減った。家の庭に一歩踏み出せば、自然とやるべきことがみえてくるようで、雑念も減り、頭の中も整理されてくみたい。

庭仕事をしていると、カエルやハチや蝶、その他虫たちが続々と現る。お互いにせっせと暮らし共存している感覚になる。これだから自然にいると心地いい。

 

限りある一日の時間の中で、やるべきことだけこなしていく。ほんとうに必要なことって、ここだけは大切にしたいとか、この時間はあえて自分の幸福や為になると思えること。何か変化が起きそうなこと。身の回りにある近くのことを新鮮な目で、大切に、感謝して、見つめ直すこと。

 

少し肌寒いくらいの清々しい朝。気温は20度前後とベランダで朝ごはんもたのしくなる頃。

今朝も次男と歩いて登園。自然に触れてリラックスしながら家族との時間を過ごすのも、お互いにとっていい作用が自然と働く時間。

どうやら次男はとくにまだ若いからもあって、いろんな物事に対してぶつかりやすかったり、考えることが多くあるみたい。まだ何がどう良くないのかもうっすらしかわからない時期なのもあるだろうし、たぶん、本人の性格上のこともありそう。(たぶん私に似ているような?と思い当たるふしがある🫢)
小さな事でも話し合ってみて、なんでこうなるのか、ものごとの状況への理解が深まるきっかけになればいいな。そのために母として、ひとりの人間としてまだまだ頑張ります。

 

言葉で吐いたものを一つ一つやってみようって言う。

 

言葉と思考の中でぐるぐる回らないで前に進まなきゃいけない時だって。

 

大地とカエルのように、私たちも冬眠から目が覚めて、うごめいて鈍くなった5つの感覚を次々と起こして、ドアを開けて外の世界に足を踏み入れなければならない時だよ。ー<韓国エッセイ>conte De Printempsー

 

 

 

 

暮らしをシンプル化させるために

自分が書いたものは、なるべく見返さないようにしているけれど、数ヶ月ぶりに読み返してみた。やっぱり恥ずかしい。恥ずかしさがあるのはもちろん、過去の自分の書いた文章には違和感もあったりして、現在進行形で書き続けてみるのがよさそう。それでも、いつも変化している。

 

書いてもよくまとまらない時がある。

ここ最近も回りくどいようなずいぶん長いまとまりのない日記だったような気がするが、整理されてない時は自分自身の状態のような、自分自身の心の表れそのもののように感じる。

 

 

とある論文によると、どうやらネガティブな思考や感情を紙に書き出すと、私たちの脳は、あたかも思考がモノになったかのように錯覚し、それを破いて捨てることで、本当に思考をゴミ箱に捨て去ったような気分なるみたいだそうな。

 

たしかに、私が書いている理由もまた、まさにここのような気がする。

ただ、具体的な自分自身の本音を見つめ直し、受け入れながら書き出してみること。

いったんつらつらと書いてみたまとまりのない文章も、一旦寝かせておいて、次の日に見返してみて書き直して整理整頓をすること。

 

 

✳︎

紙の本を読むときのほうが、脳波が高い周波数帯、特にベータとガンマの帯域で高いスペクトルパワーを示したそう。これらの周波数は、より集中力が高まり、脳をよく使っているときに発生するらしい。

紙の本だから読めるということも頷ける。

デジタルは、目にツンと刺すような光がとても不快に感じやすいのもあるし、少し情報から離れて目の前にあることに集中して、たのしむことができる。

 

✳︎

あいにくの雨の週末だった。毎週、何をしようか?と考えることにも嫌気がさしてくるときもあって、何もしないでゆっくり過ごそう、と休息第一デーにすることにした。

子どもたちとゲームをしたり、Netflix鑑賞でゆっくり時間が過ぎるのを感じてみると、ゆっくり考える時間も確保でき、あれこれ考えながら愉しむ方法が思い浮かんできたり、いつも当たり前のことが当たり前だと思わないで目の前にあることに集中すること、行動に対して考え直してみることができ、新しい風が吹いてくるような幸福感も得られる。

休息とは、いったん自分が好きなことや過ごす時間に集中する時間を取ることで、気づけることがある。新しい視点や捉え方を得るためには、何か変わったことをしてみるのもいいし、取り入れてみるのもいい。

整理されない時こそ、休息と余裕と内観のマインドセットが必要な気がする。

また、小さな日常での発見や幸せに気づくことができる。

 

メディアが悪影響ばかりではなく、情報や刺激性の過多は取捨選択しながらうまく付き合わなければならないけれど、自分の好奇心や興味を持つ対象を見つけるようになり、知りたい事を自主的に調べ、解決してみようとする姿勢が子どもたちも私自身にも思い当たる。

 

良くも悪くも、どちらの点でも気になることがあれば、どうすればいいのか?とその対処法を探し出すために考える姿勢は必要で、知りたいものを知識として蓄え、独自の視点や新しい自分の人生の知恵に変えていくために。学習する一歩として。ゲームも子どもたちにとっての人生のトライアンドエラーで工夫するには良い方法かもしれない。敵キャラやキャラの特徴を抑えててクリアしていくためにはどうすればいいのか?たしかに、成功法を探しながら何度も試して勝利率を上げていっている。たださせるのではなく、一緒に観察して一緒にしながら6歳と4歳の息子たちに確実に、腕前を追い越されていくのをみて内心微笑ましくてしょうがない。

何をどういう風にみて、うまく活用していくかは無限大のような気がする。

子どもたちをみていると、常に好奇心をもって、新しい物事に取り組むことの大切さをより感じる。

 

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朝は、以前に比べるとずいぶん活動的になってきた。まず、長男を見送り、次男と一緒に幼稚園まで歩いて見送りから一日が始まる。

それから、庭を徘徊しながら探検をする。今日は、コーヒーカスと残飯と枯葉、余った土を混ぜてコンポストに混ぜて土を作り、発酵させてみた経過観察をしてみたけれ

 

家事の合間にラジオ感覚でお気に入りのYouTuberを流し、合間にはコーヒーブレイクもする。あとは、日によってすることは違ったりするが、子どもたちを迎えにいくまで内観時間に使う。

 

 

庭で咲いているハーブたちを次男と摘んで愉しんだ。疲れやすいカラダに心なしか効いている気がする。咳も落ち着いた。

いつも愉しんでいることも私にとっては、特別だ。

ゆっくり休暇を取ることも、何をして過ごす大切なのかも、何にこだわらないのかも…

 

 

昨年植えたグランドカバーが咲いた。今年の庭はどう変化するやら。たのしみ。