自分が書いたものは、なるべく見返さないようにしているけれど、数ヶ月ぶりに読み返してみた。やっぱり恥ずかしい。恥ずかしさがあるのはもちろん、過去の自分の書いた文章には違和感もあったりして、現在進行形で書き続けてみるのがよさそう。それでも、いつも変化している。
書いてもよくまとまらない時がある。
ここ最近も回りくどいようなずいぶん長いまとまりのない日記だったような気がするが、整理されてない時は自分自身の状態のような、自分自身の心の表れそのもののように感じる。
とある論文によると、どうやらネガティブな思考や感情を紙に書き出すと、私たちの脳は、あたかも思考がモノになったかのように錯覚し、それを破いて捨てることで、本当に思考をゴミ箱に捨て去ったような気分なるみたいだそうな。
たしかに、私が書いている理由もまた、まさにここのような気がする。
ただ、具体的な自分自身の本音を見つめ直し、受け入れながら書き出してみること。
いったんつらつらと書いてみたまとまりのない文章も、一旦寝かせておいて、次の日に見返してみて書き直して整理整頓をすること。
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紙の本を読むときのほうが、脳波が高い周波数帯、特にベータとガンマの帯域で高いスペクトルパワーを示したそう。これらの周波数は、より集中力が高まり、脳をよく使っているときに発生するらしい。
紙の本だから読めるということも頷ける。
デジタルは、目にツンと刺すような光がとても不快に感じやすいのもあるし、少し情報から離れて目の前にあることに集中して、たのしむことができる。
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あいにくの雨の週末だった。毎週、何をしようか?と考えることにも嫌気がさしてくるときもあって、何もしないでゆっくり過ごそう、と休息第一デーにすることにした。
子どもたちとゲームをしたり、Netflix鑑賞でゆっくり時間が過ぎるのを感じてみると、ゆっくり考える時間も確保でき、あれこれ考えながら愉しむ方法が思い浮かんできたり、いつも当たり前のことが当たり前だと思わないで目の前にあることに集中すること、行動に対して考え直してみることができ、新しい風が吹いてくるような幸福感も得られる。
休息とは、いったん自分が好きなことや過ごす時間に集中する時間を取ることで、気づけることがある。新しい視点や捉え方を得るためには、何か変わったことをしてみるのもいいし、取り入れてみるのもいい。
整理されない時こそ、休息と余裕と内観のマインドセットが必要な気がする。
また、小さな日常での発見や幸せに気づくことができる。
メディアが悪影響ばかりではなく、情報や刺激性の過多は取捨選択しながらうまく付き合わなければならないけれど、自分の好奇心や興味を持つ対象を見つけるようになり、知りたい事を自主的に調べ、解決してみようとする姿勢が子どもたちも私自身にも思い当たる。
良くも悪くも、どちらの点でも気になることがあれば、どうすればいいのか?とその対処法を探し出すために考える姿勢は必要で、知りたいものを知識として蓄え、独自の視点や新しい自分の人生の知恵に変えていくために。学習する一歩として。ゲームも子どもたちにとっての人生のトライアンドエラーで工夫するには良い方法かもしれない。敵キャラやキャラの特徴を抑えててクリアしていくためにはどうすればいいのか?たしかに、成功法を探しながら何度も試して勝利率を上げていっている。たださせるのではなく、一緒に観察して一緒にしながら6歳と4歳の息子たちに確実に、腕前を追い越されていくのをみて内心微笑ましくてしょうがない。
何をどういう風にみて、うまく活用していくかは無限大のような気がする。
子どもたちをみていると、常に好奇心をもって、新しい物事に取り組むことの大切さをより感じる。
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朝は、以前に比べるとずいぶん活動的になってきた。まず、長男を見送り、次男と一緒に幼稚園まで歩いて見送りから一日が始まる。
それから、庭を徘徊しながら探検をする。今日は、コーヒーカスと残飯と枯葉、余った土を混ぜてコンポストに混ぜて土を作り、発酵させてみた経過観察をしてみたけれ
家事の合間にラジオ感覚でお気に入りのYouTuberを流し、合間にはコーヒーブレイクもする。あとは、日によってすることは違ったりするが、子どもたちを迎えにいくまで内観時間に使う。
庭で咲いているハーブたちを次男と摘んで愉しんだ。疲れやすいカラダに心なしか効いている気がする。咳も落ち着いた。
いつも愉しんでいることも私にとっては、特別だ。
ゆっくり休暇を取ることも、何をして過ごす大切なのかも、何にこだわらないのかも…