くらしのひとりごと

日常と頭の中で考えることがすきな日記的ひとりごと録。家好き、インドア派、田舎暮らし、ガーデニング、読書好き。🧑‍🌾

多様な視点をもつための時間

 

 

とにかく書くようにしなければ、新しい考えもどんどん生まれてこないことに気がつく。

 

最近、日常に対して心地いいことと、心地よくないことがあまりにも両極端に感じてしまって困惑している。

これも、日常にある不便さや憤り、誰かにとっての当たり前…そんなあらゆる葛藤によって生まれてくる自分自身の悩みにすぎないのだろうけれど。そんな思いが、ふつふつと自分の中に湧いてくるとき、感覚が大きく感じるとき、一旦落ち着いて考えたくなる。

 

忙しいと思う日々ほど時間を大切に使いたくなってくる。あら、心の余裕がなくなっているんじゃない?と思うとき。

 

そういえば、子育てをし始めた頃からのこと、毎日自分を労るために何ができてるんだろう?と思い始めた。逆に忙しい日々に追われると、時間の使い方がわからなくもなってしまうこともあった。

何をしよう?と考えてみると、まあ、息抜きしよっか。で、ぼーっとしたり、寝たり、携帯を触ったり…。そんな何気なく過ごしている時間は、なんにもなかったかのような空白の時間みたいに感じたことも。

 

まあ、今もときどき何しよう?と思うときはあるけれど、以前よりは随分と満足する時間の使い方になってきている気がする。要は、自分なりに充実したか?と感じられたかで決まるんじゃないだろうか。

 

そういえば、子供の頃は、週末がきて、必ず休みが設けられていた。一年の合間には、夏休みや冬休みもあった。もちろん、その間は宿題やら習い事やら、何かしらしていたり、遊んだりしていたり…。

けれども、大人になれば、個人の選択によって、休む時間や過ごし方も多様になってくる。時代の変化とともに、マルチタスクとも言われるように便利こそ、可能なことも余計に気苦労することも…。

 

 

何に悩むか、何を大切に考えていくかも、自分次第によって変わる。どこに住んでいたとしても、誰しもがどこか違って、何か個人なりに挑戦してみては、学ぶことが生まれる。あるものごとに対して、自分が同じように染まることはできないけれど、理解したり、共感する部分もどこかある。

合わせることではなく、歩み寄ること、受け入れることで、少し気楽でいられること。

 

自分自身の人生の調和は、自分自身の思考の調整が肝心。無我夢中で好きなことをしたり、たとえうまくいかなかったとしても望むようにしてみる行為自体が、どこか自分の中での知恵、趣向になる。自分で考え、判断してみることで、前進できるような気になる。それは、自分自身のペースを取り戻す、維持する方法なのかも。

少しでもいいから、明日をよりよく生きるために、小さな一歩を。

 

休むことを忘れがちになるけれど、あえて考える時間こそが必要で、立ち止まってみる時間こそが、心の充電時間になること。

 

 

 

 

✳︎

最近、この名前の由来は?というようなことに対して興味が湧く。

どうして?なんで?

こういう疑問が湧き、知ってみることはやっぱり面白い。

いつも胸が騒ぎ出したら、こう考えるようにしてみれば、頭の中も一旦整理されてリセットされる。

個人なりに、経験したこと、湧き上がってきたことをあとでじっくり考えてみて学ぶ。そこでの発見のほうがある気がする。

 

この前、偶然みた動画の中で、ある芸人さんが言っていた言葉、“いつまで経ってもむずかしいなあ〜”。それは、私の胸に響いた

いつまで経っても、当たり前の日常の中でしていることさえ慣れない。タイミングや偶然性もいつもコロコロ変わって、なぜか人の反応や雰囲気も違ってみえたりもする。

 

そんな日常の中で、いつものように変わらず、親しみをもてる人、気軽に話せる人は、ほんとうにひと握りくらいじゃないかな。またそれも環境によって変化もしたり…。それでも、そのときに確かに救われたり、よい時間として、心地がいい記憶として残っていくこともある。

 

相変わらず毎日韓国語に触れながら、リスニング勉強を試みる日々。

覚える気もあれば、ただ淡々とみたり、意識したりして、なんとなく感覚を掴んでみたり、学んでみたり…。それでも、10年前に比べると、随分聞き取ることはできる気がする。そんふうに、覚えながら、韓国の友人と会ったり、話したりしてみて、覚えていきたい。無理なく、ごく自然に。

 

雪も降るもので、寒いせいかあらゆることに億劫になりやすい時期。

家でよく過ごすための時間を考えているこのごろ。