年中通してひとりで子育てをしていると、毎日継続することの大変さを知る。欠かさずしなければ済まされないことと向き合う責任感と、気の抜けない日々。
子育てが生活に大きな成長をもたらしてくれるとともに、ひとりの時間の使い方、意味がときどきわからなくなり、無力感、脱力感にもおそわれることもある。
“いったい、なにをしている?”というような、わけも分からなくなる感じ。
それでも、それなりに生活を楽しんでいるのだと思う。そうしていくしかないのだと思う。
いまは個人的な好きな時間が過ごせなくても、ただ子供たちに付き合って過ごすいまだけの時間をなによりも特別に感じている。きっとあっという間に過ぎてしまうだろうから。
スムーズに家事ができたり、珈琲が飲めてしまう日がくるの??
そんな日が徐々に近づいているおもうと、なんとも複雑な気持ちになる。
いつまで経っても、どこにいようと、ふとしたときに思い出す親友みたいな存在でいたいな。
何にせよ、むしろいつも好きな時間を過ごせることのほうが、難しいんじゃないかとおもう。
:多様であるといっても、それぞれの生き方で
最近は、SNSでも多様な情報がある。そこを現代と先人の知恵を借りて、個人的にうまく暮らしていく方法を模索し活用し続けてみる。
きっと、自分は童話にでてくるような小さな村でひっそりと暮らし続けていくほうが、向いているような気がする。現に、30年間田舎暮らしをしてきたものだから、大きな変化がかるかどうか見込みはないんじゃないかな、というような気もしたり。
旅に出ることは、近辺で済ませ、
新しいことを知る方法といえば、本やSNS、誰かとの会話、身近な場面からかもしれない。
そういえば、ここ最近までは、あらゆることに目を向けてみては、ピンときたら好きになり、夢中で取り組んでみては、そのものに思入れを重ねていたような気がする。
しだいに感情が動くことにそこまでとらわれることなく、ずいぶんと客観的になり、特別視しなくなってきた気もする。それでも自分の中の支えになることやおもしろさというものは、常に新鮮さを取り入れたくなる。
なにがすごいだの、良いだの悪いだの、というよりも、そういうこともある、そういうときもある、こうしておいたほうがいい、という状況も常に変わるものだということとして。
そう思っておくことが、気楽に生きてける気がする。
そう、今年のクリスマスも、例年とはちょっと変わった。
クリスマス前日に子どもたちのプレゼント、ケーキやらお祝いをまとめて行うことに。
サンタさんも融通が効くものだって思ってしまったかもしれないけど(笑)