くらしのひとりごと

日常と頭の中で考えることがすきな日記的ひとりごと録。家好き、インドア派、田舎暮らし、読書好き。

心に問いかける日記

時間が経つにつれて、あのときがいかにいい思い出だったかを思い知るときがある。

考えてみれば、いつも、これはすごいな、いいな、あんまりだなあ、と感じながら生きてきた。小さい頃は、それについてあまり深く考えられなかったけれど、歳を重ねるにつれて、いろんな思いや経験が混ざり、混乱したり、迷いが生じてきたりする。

 

考えてみれば、いつもすぐに答えは出ないものだし、こうしておいた方が良さそうと頭の中ではわかっているつもりだけれど、いざ実際にしてみようと思えば、不安や躊躇したりもする。そんな想いを噛み締めながらも、一歩踏み出してみる気持ちで。できるだけ後悔のないようにはしたい。

 

自分にとって効率の良い方法は、じっくり時間をかけようが、たまたまうまくいったと思うこと、些細なことなど、あくまでも自分の方法で、ペースで、なにか都合のいい発見をし続けることなのかもしれない。

え、これのどこがいい方法なの?と言われるかもしれない。けれど、自分にとってはなにか大切で、得られることがきっと、ある。それも、きっと個性。

 

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ちょっとした違いで変化が生じていく。

いい人と付き合うといい結果が生まれるとよく聞く。最近、それが、ああ、こういうことなのかなあ。と感じられてくる気もする。

なにか後味悪かったり、変に疲れてしまったり、気にしてしまうようなことへは突っ込み過ぎない。

相手に期待したりせず、自分を理解するつもりで話す。

とくに目が輝いている人の話は、心まで込み上げるものがある。何か大切なことを受け入れられる感じがするけれど、たまたま機嫌が悪く、逆に相手が自分を警戒して話しかけてこないか、気を遣ってくれている場合だってあるかもしれない。

 

けれども、そんな時には少なからず優しさや親切心という素ぶりは、なんとなく感じられるもの。

いろんな人の話を聞いてみることは、自分にとって役に立つかどうかはさて置き、参考にはなる。最近は、そんなことを意識してみている。

 

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最近ちょっと宇宙論を聞いて混乱している。

ただシンプルに考えればいいものでもなくて、もう一ひねり、考え方が必要なように。

良い方向へ。

あえて一つのことへ考えすぎるのもよくない。

そのとき、そのときで。

なんかひっかかるのであれば、もう一度やり直してみる。

改善は、きっと少なからずされていくはず。

 

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もう一度ちゃんと勉強してくればよかったなあと思う瞬間が、ときどきある。好奇心のためでなく、学ぶという面白さ、そこから広がる世界があるような気がして。ということで、息子の勉強に一緒に真面目に付き合おうかと思っている。

 

なんだか改めて知るという機会のために時間をかけて、使いたいなあと思う。そのためになにができるんだろう??

わからないけど、思いついたらできる限りしてみる。日常でのほんの小さなことだとしても。

 

歳を重ねてくうちに、もうあの時みたいにはできないよね、みたいな心境になってくる。過去、未来へ前も後ろも分からんくなってしまうようで、新しい扉が空きそうな気もする30代。

気になってること、違和感を感じることは受け入れつつ、そのままあらがわず、寝かしておいてもよしだと思う。きっと、そのままゆるやかに変化し、過ぎていく…。

 

受け入れ難いことへ適応していく慣れ、その最中がいつも大変で、その時期についてはいつも慣れはしないけれど、ものの見方は本当にいろんな考え方ができる機会だと思う。きっと、そのできごとのおかげで、どう意味をもたせるのかも自由なんだろうし、自分次第になってくる。

 

結局、なにを抱いているかというと、もっと若い頃なにかに必死になりたかったんだと思う。いまそう思えるだけかもしれないけれど、いまからするには、体力的にむずかしいこともあるだろうけれど…。

いまだからこそ、今からでもできることをはあるんじゃないか。そう思いながら…。