くらしのひとりごと

日常と頭の中で考えることがすきな日記的ひとりごと録。家好き、インドア派、田舎暮らし、読書好き。

考えてみれば、

 

朝の目覚めは、いつもカラダはゆっくり起きようとする。

朝ごはんをつくる。

まだ、気が緩んでいる。

 

土が乾きやすくなってきた天候かと思えば、連日の雨風。地面もジトジトしている。また、少し肌寒くなる。

 

余裕があるということは、他のことに目を向けられることだと思う。

疲れきって、精一杯になると、他のことなんてそんなに気にしていられなくなるし、うわのそらだったり、話す気力さえなくなる時がある。

こんな状態になるのは、めったにないから、余計に、ああ、いまほんとうに疲れてるんだな。

と思ってしまう。

 

エネルギーを欲している日には、やけにずっと疲れていて、緊張して、内側にこもりたくなる。それは、色んなことが関係しているだろうし、きっと、女性特有の周期も関係しているはず。

 

 

そんなときは、静かに鑑賞しながら、気を紛らわせたり、じっと考えたりして、カラダを休めようとする。ただ、黙々とじっくり作業ひとつひとつについて考えながら、こなしていたくなる。基本の性格としては、いつもそんな感じ。

 

とある日には、修理屋さんがきているのに、いつものように薄暗い部屋のままにしていて、あら!と、慌てて明かりをつける始末だった…。

 

うーん、混乱している。

暇をみつけさえすれば、手当たり次第なに揉まれているのかを考えてみる。頭の中で考えているなにかをぎゅっと凝縮することはまだできない。それでも、そんなに複雑なことまでではない気もする。

…そんなことを考えていると、またカラダが眠ろうとする。

生姜湯を飲んだけど、今日は効き目はあるの?と思ったりもしながら。

そう、だいたいのことは、“こうあるべき”に縛られたり、揺るがされている。

 

考えていても、わからないことでもあるし、ただ、自分の視点だとこうかな?変えられたらいこともあるけれど、長く生きてきてやっぱりこうあってしまうことは、無理をしない。で、やっていくしかないのだと思う。良いことにして、好きなこともして、工夫して。

進行するスピードの違いがあったとしても、それはそれでおもしろくもあって、気づきにもなる。

 

誰かと必ずしも意見が一致しないといけないワケではないものだし、それぞれで見据える方向が違ったとしても、打ち解けられるようであれば、それでいい。もちろん、そうなるわけでもないのだから。

 

 

計画を立ててその通りにみっちりこなすように努力し続けること、持続は、むずかしい。

いつも気持ちと行動は同じようには動かない。いつも同じように起きられない。“いつものように”は、いつもない。

 

かといって、ぐるぐる考え続けてばかりでいることももどかしくなる。

退屈だったり、億劫な時間に思えても、物思いにふけてみると、それなりに感じ方がかわる。

それでも長居は要注意。疲労に変わるので、リフレッシュする時間は確保。気力だけじゃなく、軽やかに動けるこころの調整は、必要。

 

そのための思索をしながら、実感しては、また余白やペースを練り直して、試す。

そのあとの後味を噛み締めながら、また更新しなおす。そんなことの日々繰り返し。

 

 

ただ、そんな時期には、子どもたちにももうしわけなくなる。いつも一定のように維持していられなくなって、少しばかり落ち着かなくなってしまうけど、結局、だいたいのことは、後になって、なんだったんだ。と思ってしまうもので…。

 

 

 

さあ、おいしいものをつくって食べて、よく鑑賞して、良いことを考えるように工夫して、たのしく。

最近は、そういうことを忘れずにいたい日々。